【女は美醜でジャッジされる?】ジャッジに振り回されないための対策とは

対策いろいろ

こんばんは!

YouTubeにあったこちらの動画。このブログのテーマにもかかわる話題だなとチェックしました!

すでにご覧になられた方、私も美醜でジャッジされて不快な思いをしてきた!という方もいらっしゃるでしょうか?

ちなみに私は全く美人ではないですが、これまで美醜でジャッジされてきた実感はそれほどないですね。そして外見に限らず私に批判的だったのは圧倒的に異性より同性でした。

しかし美人でもなく小顔でもなく人や環境に恵まれてきたわけでもない私が、この動画やコメントの多くで語られているほど強いジャッジを感じずに生きて来られたのはなぜなのか?そしてその理由の中でこれまで辛い思いをして来た方々にとって役立ちそうなポイントは何なのか?考えてみました。

そんなわけで、思いついた対策を挙げてみます。

対策①外見を批判してくる人をよく見る

私の外見にケチをつけてきたり、外見で理不尽な差をつけてきた人々の中に美男美女はゼロ!しかも美男美女どころかよくその外見で人にケチをつけられるな(呆)……レベルの人ばかりでした。

そんな人間の発言なんていちいち相手にする価値もないし、自分をわかっていなさすぎて本当に恥ずかしい……

というのが私の思考回路です。すなわち、美醜で低くジャッジされて落ち込んでしまう人の中には、自分ばかりみて相手を見ていない人がおそらくいると思うんですよね。ゆえにまず相手をよく見ることって大切だと思います。

そしてこの方法は様々な場面で使えるはずです。

例えばいじめ問題。死ね!と言われて……というニュースをしばしば見かけますが、何の罪もない人に死ねと言えるなんて、病院行きレベルの頭がおかしい人ですからね。

私は誰かに死ねと言いたいと思ったことはないですし、その選択肢自体が私の中にないです。もし今後言うことがあるとすれば、それこそ「死ね!」と誰かに言われたときに「(頭のイカれた)お前が死ね!」と言い返すぐらいかなと思います笑

対策②外見以外の「ウリ」を作る

私は学生時代は勉強、社会人以降は仕事と資格をウリにできるように心がけてきました。おかげで他人の美醜その他にうるさい人種がいても、勉強や仕事で対抗できたので、あまり気にせずに済んできた部分があります。

「子どもは残酷」などと言われるとおり、特に小学校の頃(誰でも入れる公立です)は、ブス!ゲス!デブ!チビ!バカ!などの言葉が日常的に飛び交っていました。そうしたある種の残酷な環境の中で、私は外見では勝負できないのでそれ以外のウリを作らねばと思いました。特にその当時は身長が高い方でも痩せている方でもなく中肉中背だったのでなおさらでした。

そして運動は致命的にダメだったので、勉強に力を入れることにしました。勉強は何も考えていなかった頃から平均を下回るようなことはなく、記憶力は良い自覚もあったんですよね。

そこから勉強を頑張り始めて、高校も大学も成績が良くないと入れない学校に合格。真面目に勉強していたこともあり、授業についていけない悩みなどもなく楽しい思い出や友だちも出来て卒業しました。

もともと勉強が好きなタイプではなく、自分の一番のウリになることは永遠にないとはいえ、勉強をひとつのウリにできたことで、自分より勉強ができる人はいじめないタイプのいじめっ子からの被害も回避できましたし、先生方に守られてきたのは真面目に勉強を頑張っていた影響もあったと感じています。大人になってからも、学歴のおかげで失礼な態度を取られずに済んでいると感じたことは少なからずありました。

そして、中学からは高校&大学受験に備えて勉強最優先の日々で、大学時代も含めてずっと勉強で忙しくしていたので、①外見ばかり気にしている暇がなかった、②自分が努力することで他人の努力や苦労にも気づきやすくなり、人の中身がより見えるようになった、という点でもメリットある対策だと思います。

対策③自分の外見の中でもマシな部分を磨く

いろいろと不満がある外見でも他人に褒められやすいポイントってありますよね?そこを伸ばすことってやはり大切なんじゃないかと思います。

私の場合、少なくとも顔よりはスタイルの方がマシなのと、洋服が好きでセンスを褒められることも意外とあったので、体型の維持と洋服でのおしゃれは昔から心がけていました。

しかし今思うと心がけは全然足りていなかったですね。私が外見で褒められてきたポイントTOP3は①脚②手③肌ですが、ただ細いだけでなくもっと運動して筋肉をつける必要がありましたし、ネイルも必要でしたし、肌ももっと大事にすべきでした。

そんなわけで私自身出来ていたとは言い難いのですが、反省も込めて挙げてみました!

対策④人に言えないような後ろめたいことはせずクリーンに生きるよう心がける

どんなに表面的に取り繕っていても、性格が悪くて裏でヤバいことやだらしないことをしている人は、不快な目つき顔つきオーラを纏っている。笑顔も真顔より明らかに悪い。芸能人などで外見が良かったり口が達者だったりで支持されているけれど見るのも嫌だと感じてしまうような人は、まさに上記に該当する人であり、高確率でとんでもないスキャンダルを起こして消えていく。

上記のようなことは昔から感じていました。それで私は子ども時代から、不快なオーラを纏った大人にはならないために、人に言えないような後ろめたいことはせずできるだけクリーンに生きるよう心がけてきました。こうした生き方の結果、不快なジャッジをされにくかったのではないかと思う部分があります。実際どうなのかはわかりませんが、見ず知らずの人にいきなり荷物番を頼まれたことが国内でも海外でもありますし、リスクが少ない生き方という点でもおすすめできます。

対策⑤外見以外に関してもなりたい自分像を持つ

私はなりたい自分像がいろいろあって、「人の役に立つ人になる!」というのは子どものころからの目標でした。ちなみに何か具体的なきっかけや理由があったわけではなくて、物心ついた時にはそう思っていた感じです。本能みたいなものかもしれません。

その他のなりたい自分像についてもプロフィールに書きましたね。

プロフィールはこちら

こんな感じで外見だけではない自分の理想像をいくつか持ち、それを実現すべく生きていると、美醜で低くジャッジされてもダメージが少ない面があると思います。美しいだけでは到底実現できないからです。

それに美しい人がいたらそれだけで気分が上がる面もあるでしょうが、年齢にある程度比例した知識、経験、能力が大人の魅力には不可欠だと思いますし、外見を磨いているだけではいざという時頼れる存在になれませんし、私はイヤですね。

とはいえ、美しさが最重要!という人を否定するつもりはないです。あくまでも美醜のジャッジに振り回されないためには有効かもしれない、という話です。

対策⑥美が重要な仕事や美のレベルが高い場所を避ける

私がこれまで属してきた集団に美男美女はあまりおらず美意識が高い人も少なかった、というのも私がジャッジをあまり感じずに済んできた理由かなと。同じ自分でも周りがどうかによって評価は変わってくるものですよね??ゆえに美が重要な仕事や美のレベルが高い場所を避けることも対策になると思います。

ちなみに家族内でも同様だったというか、外見に恵まれた親きょうだいがいなかったので、親きょうだいに比べてブサイク!のような評価を自分ですることも誰かにされることもなくて、そこも楽だったんだなと振り返ってみて思います。

対策⑦世の中全体で考える

世の中全体からしたら美男美女なんて少数派。自分だけが美女でないならショックも大きいですが笑、美女でないのが普通なわけで。となると、それ以外の部分で武器を持てばそれなりに戦える世の中ということなので、美醜のジャッジはそれほど重要ではない、というのが私の感覚です。

対策⑧美男美女ですら外見を批判されてしまう現実を見る

芸能界は外見が重要な世界の筆頭とも言えますが。その芸能界の美男美女ですら、外見をジャッジされ批判されていることって少なからずありますよね??

ゆえに、美女でもなんでもない自分が美醜で低くジャッジされても当然で。それでも褒められることがあるってありがたい!ぐらいの感覚なんですよね笑

他人を美醜で低くジャッジしてわざわざ本人に伝えるとか理不尽な扱いをするとかを肯定する気はもちろんないですが。低く評価されても当たり前、と思っているからこそダメージが少ない部分が私にはあるなと思います。

対策⑨人は生まれたときから不平等であるという現実を受け入れる

美醜のジャッジを常にされてきたと感じている人の中には、「美人の同僚は人気でちやほやされているのに自分は全然……」的なこともジャッジに含めている人もいるのでは?とふと思いました。

しかし何事も良いに越したことはないので、外見が良い人がちやほやされるのは自然なことだと私は思っていて。ゆえに自分が美人の同僚や友達のようにちやほやされないからといってジャッジされた!とは思わないです。

いずれにしても、自分は美人ではなく整形する気もないのでそこにずっとこだわっていてもしょうがないし、自分を評価してくれる人を大切にしたいし、限られた自分の人生を最大限良くするために何ができるかを考えたい!というのが私の感覚です。

対策⑩他人の美醜にあまり興味がない人の存在や感覚を知る

何事も、自分がしているからこそ他人もしていると思い込んでしまう部分ってあると思うんですよね。すなわち、私は他人の美醜にあまり興味がないので、他人が私の美醜にこだわってジャッジしていたとしてもそれを想像できず、気づかないために傷つかずに済んでいたことも確実にあっただろうなと今は思います笑

他人の美醜に過度にこだわる人というのは、ある意味鈍感な人というか、表面的なことしか見る能力がないからこそ、そこにこだわってしまう。こうした能力はある程度生まれ持ったものなので、努力したところで敏感な人になることは不可能に近い。ゆえに対策が難しい問題ではありますが、他人の美醜にあまり興味がない私の感覚/私から見える世界を少しだけ説明してみます。

●人間関係は気が合うか相性が良いかどうかでジャッジしてきた。気が合わなければ楽しい時間を過ごせないし、一方的な好意ではプラスの循環が生まれることは永遠になく不毛と感じる。

●今後の人生で老若男女問わず私が出会いたい人は、愛情深い、感性豊か、対等な立場で楽しい時間を過ごせる人!

●どんなに外見を磨いていても、性格が悪くて裏でヤバいことやだらしないことをしている人は、不快な目つき顔つきオーラを纏っている。全然美しく見えないし関わりたくない。例えば、若さや外見を武器に異性をたぶらかして大金を巻き上げて平気でいられるような人間は異常であり、人間界の土俵にすら立てていないと思う。そして他人のお金ばかり当てにしている時点で格上ではない。そもそも、人間の格に上下があるのは事実だが、格上だからといって格下を粗末に扱う権利などない。

●私にとって苦手な顔&オーラのワースト3は、①性悪顔&オーラ、②融通がきかない顔&オーラ、③下品顔&オーラ。すなわち、他人を目や鼻や口や輪郭がどうとかという視点では見ていない。

●年を取っても外見に魅力がある人は中身もある人。そうでないとアラサーぐらいから冴えなくなっていくと感じる。

●若さゆえの美しさは年とともに失われていく。そして年を重ねれば重ねるほど年齢に比例した大人の中身を求められる。人生100年時代の今、若くない時間の方が遥かに長い。ゆえに人生を豊かなものにするためには、美にばかりこだわるのは非効率的で損だと思う。

●外見の個人差は内面のそれと比べたら遥かに小さい。外見は皆人間の範囲に収まっているが、内面は天使から悪魔まで存在する。悪魔と関わってしまったら命を失うことさえあるので、自分を守るためにも厳しくジャッジすべきは内面だと思う。

ざっとこんな感じです。

美女でもなんでもない割に美醜のジャッジをそこまで感じてこなかったってどういうことだろう??という疑問から書き始めた記事でしたが。いざ書いてみたら感じにくい理由がけっこうあって自分でも意外でした。

皆さんはどのような感覚でしょうか??

感覚は人それぞれ異なるでしょうが、美醜で必要以上に他人をジャッジする人が減り、美醜でジャッジされる苦しみから解放される人が増えることを祈ります。

では素敵な夜を!

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